2021-06-01 第204回国会 参議院 環境委員会 第13号
最近放送されたNHKの「二〇三〇 未来への分岐点」、第三回「プラスチック汚染の脅威 大量消費社会の限界」という番組でも、世界の科学者たちの研究による新たな知見が紹介されていました。小泉大臣、御覧になりましたでしょうか。
最近放送されたNHKの「二〇三〇 未来への分岐点」、第三回「プラスチック汚染の脅威 大量消費社会の限界」という番組でも、世界の科学者たちの研究による新たな知見が紹介されていました。小泉大臣、御覧になりましたでしょうか。
○高木国務大臣 まさに、無駄をしない、そして資源の有効活用を図る、大量消費社会、大量消費・廃棄社会ということも言われておりますが、我々としては、限られた資源を有効に使う、節電ももちろんでありますけれども、節約をして、みずからのライフサイクルもこの際改めて見直していくことも必要であろうと思っております。
事業者が個々の消費者と率直に向かい合い、安心、安全、信用、信頼など、大量消費社会では軽視されてきた価値をもう一度経済システムの中にしっかりと位置づけなければ、これからの経済は成り立ちません。 私たちは、こうした明確な歴史観に基づき、明治維新以来の我が国の統治システムそのものを消費者視点で抜本的に改革します。
また、経済産業省では、大量生産、大量消費社会から持続可能な循環型社会へと転換するため、個別製品ごとのリサイクル法制度の整備や事業者の自主的取組の促進等により、リデュース、リユース、リサイクルのいわゆる3Rの取組を推進してきております。
そこでの生きる力ということは経済的に富むということでありまして、経済的に富むということはどういうことかというと、大量生産、大量流通、大量消費社会の中で正に富を最大化していく能力ということが生きる力であったわけであります。
その中では、ガボール自身は、成熟社会とは、人口及び物質的消費の成長はあきらめても生活の質を成長させることはあきらめない世界である、こんなふうに言っておりまして、さらに成熟社会は、工業化に裏打ちされた大量消費社会の後に来る脱工業化とも言える高度情報社会の下で登場するものであると考えることができると、そんなふうに実は言っておりまして、もう少しまとめて考えてまいりますと、成熟社会とは、経済社会における物質的生産
それから、よく大量生産大量消費社会というふうに言われてきましたけれども、我々は今まで製品を処分するコストというものについては余り頭になかったんではないかというふうに思います。また産業界も、生産の段階でいろいろ発生するごみにつきましてはできるだけコストを低く抑える、つまり廃棄物については金を掛けない、金を掛けたくないと、そういったものが背景にあったと思います。
加えまして、大量消費社会の中で、生活用品に対する国民の意識が安価な商品を使い捨てるという方向に傾いてきているという面もあろうかと思います。こうした性格を有しない伝統的工芸品に対する関心が薄れてきているということも指摘できようかと思います。さらには、伝統的工芸品以外の良質な生活用品が大量生産方式によって大量、安価に供給される。
ですから、結果的に消費者の使い捨てや不法投棄を助長するような、それはまさに大量消費社会から脱却できないわけですから、それがいつも経済産業省の方針はそういう方向で来ておりますので、私はそういう考え方を改めていただきたいということをあえてここで申し上げておきたいと思います。後払い方式がこの混乱の根本的原因になっているということはもう一度私は考えていただきたいと思うわけです。
また、大量消費社会の中で、生活用品に対する国民の意識が、安価な商品あるいは使い捨てるという方向に傾いてきたために、こうした性格を有していない伝統工芸品に対する国民の関心が薄れてきた、これも一つの要因だと思っています。
いずれにいたしましても、大量消費社会になり、その中で、個人が自己の意思のもとに期待した効果を契約上もたらされる、そういうある種の安心のシステムといいますか、ネットワークが構築されませんと消費生活の安全が確保されない、そのように考えるわけでございまして、ぜひ長官のただいまの御答弁のような方針で、この契約法が定着し、本来のあるべき姿をもたらすのに大きく役立つことを期待するものでございます。
それは、観点が若干違いますが、一つは、使用済み燃料を全部再処理してプルトニウムを取り出して、これを一遍に使ってしまうというか、大量に使う、いわば日本の計画は、プルトニウムの大量消費社会への引き金を引くかどうかというところにあると私は思うんですね。
もちろん、我が国はIAEA、国際原子力機関の厳しい核防護の監視下に置かれているとはいえ、このようなプルトニウム大量消費社会への道を歩むことは、非核三原則、核拡散防止につき道義的説得力を国際的に失うことになるのではないか。我が国の国是からしてもとるべき道でないと思う。原子力の利用は、技術論のみならず、もっと幅広い文明論から論議をされるべきものと思うが、どうか。
人々の暮らしも革命的に改善され、地球上挙げての大量消費社会が出現した。しかし、物質文化が目覚ましく発展した結果、「作りましょう。使いましょう。捨てましょう。」これが当然の世の中になってしまったわけだ。地球上に存在するありとあらゆるものを使い荒らし、捨て散らすことに何の不安も感じず、それが当たり前だという気持ちでわれわれは今日に至った。
しかし、大量消費社会にあって、今の若い人が果たしてどういう選択をするかというのはこれはまた未知数のものがありますが、少なくとも今の高齢者はそういうことを受け入れ可能な考え方というものを持っているのじゃないか。
人々の暮らしも革命的に改善され、地球上挙げての大量消費社会が出現した。しかし、物質文化が目覚ましく発展した結果、「作りましょう、使いましょう、捨てましょう」、これが当然の世の中になってしまったわけだ。地球上に存在するありとあらゆるものを使い荒らし、捨て散らすことに何の不安も感じず、それが当たり前だという気持ちでわれわれは今日に至った。
今の生活、現在の大量消費社会、こういったものを前提にいたしますれば、その帰結として大量の廃棄物といったものが生ずることは、これは避けられない事実でございます。この廃棄物の処理問題といったものは、多くの地域で今大変大きな社会問題にもなっておるわけでございます。その処分場一つとりましても、なかなかうまく進んでいかないというのが各地方、各地域、それぞれの自治体でも見られる実態でございます。
大量生産、大量消費社会の出現や、資源の浪費は、別の文明の原理がもたらした結果だ。その文明によって現在の地球破壊が起こったのなら、それに対する新しいあるべき文明社会の原理は、我々の先祖がつくり上げたこの文化、つまり清貧の思想の中から生まれるだろう。 こういったような趣旨の本なんであります。
そのためには、経済最優先、大量消費社会の反省をして、循環型社会へ実践をしていかなければならないと思います。アジェンダ21では環境負荷のコストを経済勘定に統合する必要性が唱えられましたが、日本においても今後の経済政策に生かされるような統計計算が必要だというふうに考えております。これが進みますと、開発計画の検討や計画アセスの判断のよりどころともなり得ると思います。
あわせて、現在の地球環境の問題や資源問題を真っ正面からとらえていく、また我が国を大量消費社会からリサイクル社会に転換させていく、こういう観点に立っているわけでありまして、消費者や企業に意識改革を求める、こういうような各面から考えましてこの法案の意義は極めて大きいというふうに私どもは期待を込めながら受けとめております。